中家堂の歴史

 明治初期時代


 -中家堂を興し、軍配せんべいが生まれた明治初期時代-


  中家堂は、明治初年(以前の栞等では、慶応2年となっていますが、その話は後程)
  数多くの店が軒を並べる、中仙道熊谷宿の一角に、初代 中村藤吉が興した菓子屋です。


明治時代の中家堂

西洋版画家 合田清の銅版画


この絵は、明治時代の頃の中家堂の様子が描かれた銅版画です。
当時の店構えに馬車や人力車など、中仙道を往来している人の姿がよく表されていて、昔の風情を思わせる味わい深いものになっています。
油絵と西洋版画の元祖、合田清の手によるものと言われています。




中家堂初代 中村藤吉

  中家堂の初代・中村藤吉は安政二年生まれです。
  中村家は上中条村中村家から明治初年に、兄・平七と弟・藤吉が熊谷に出てきた
  とされています。
  兄・平七は中家の屋号で薬種屋や度量衡を商い、後写真館を開きました。
  弟・藤吉は菓子職人を志して上京し、大和大掾(老舗菓子店 虎屋伊織)の門下
  で修業をし、菓子職人になりました。
  尚、以前の栞などで「慶応二年創業」とされているのは、戦争で店がすべて焼失
  した際、一時創業時期が分からなくなっていたため、やむなく予測された年にし
  ていた所以です。後に残された書物などで明治初年頃であると分かりました。



軍配焼型

   「中」の字を図案化した軍配せんべいが誕生


    熊谷に戻った藤吉は、地元で収穫される良質の小麦を利用
    した菓子を作りたいと考え、この地粉に卵・砂糖を加えて
    瓦せんべいを作りました。
    店舗が中仙道の一角にあったことから中仙道の「中」の字
    を軍配に見立て、縁起の良い形から武州が生んだ関東武士
    の「勝運」を担いで、菓子に「軍配」と名前が付けられま
    した。


●写真提供 中村写真館


  • 2016.04.03
  • 14:19

 明治中期から大正時代


 -菓子屋の隣でお茶屋も商い、20人の職人が働いていた繁盛期-


  この頃の中家堂は、現在のように軍配せんべいを前面に押し出した店ではなく
  生菓子、鮎焼き、羊羹、干菓子、カステラ、中家宝(五家宝)など様々な和菓子を製造販売する店でした。


 中家堂 明治時代写真

   職人が20人、女中が4、5人の大世帯


   明治後期から昭和初めの頃の中家堂は大変繁盛
   していました。
   菓子店だけではなく隣でお茶屋の商いもはじめ
   職人が20人程、女中4、5人小僧が数人働い
   ていた大世帯でした。
   また、このころは各地に支店も持っており6~
   7件程の暖簾を分けた店舗がありました。




中家堂 皮半纏

   写真はお正月の様子を写したものです。
   表に並ぶ奉公人らが店の皮半纏を着て、
   2階の女性たちは正装で並んでいます。

   この頃の中家堂は「角中」のマークを
   使用していました。写真の欄干もこの
   「角中」を模していてとても凝った店
   構えになっていた様子がうかがえます。




うちわ祭り 山車

     熊谷うちわ祭の山車を購入


     熊谷のうちわ祭に登場する第弐本町区の山車は、当店初代藤吉
     を含む世話人数名が購入したと伝えられています。
     このときの買い取り金額は五百円。
     米一石の価格が7円の時代に、藤吉は大役の一端を担うことに
     なりました。

     この他にも熊谷寺本堂の欄干、妻沼の聖天山歓喜院に壱百圓、
     二代目の時代に壱千圓、長瀞の宝登山神社の石灯籠、高尾山に
     檜弐萬本、三峰山に灯籠一対、東京の新井薬師に杉苗拾萬本を
     寄付しています。


●写真提供 中村写真館



  • 2016.04.03
  • 14:28

 昭和初期


 -戦争、空爆、終戦、-


  熊谷の市街地は昭和20年8月14日、終戦日の前日に空襲を受け大きな被害を受けました。


熊谷 終戦焼け跡地
     残ったものは、蔵が1つと、石灯篭一つだけ


     中家堂も 土蔵造りの店舗をはじめ、隣のお茶屋、蔵も二つ
     焼失してしまいました。
     残ったものは蔵が一つと石灯篭一つだけ。
     二代目もこの空襲による火災で焼死してしまいました。
     また、中家堂に古くから伝わる道具や帳面、約300はあっ
     たと言われる菓子木型などもすべて失うこととなったのです。




  さらに6年後の昭和26年、3代目が急逝します。
  誰かがやらねばという思いから、中家堂は支店の主人たち全員が本店に戻り、わずかな配給をすべて持ち
  合わせて、ただ一つ残った蔵の中で細々とせんべいを焼き続けることにしました。
  「作り続けることがお客様を手放さないために絶対に必要」との考えから、4代目が育つ昭和36年まで
  3代目の妻と職人たちがが中家堂を支えたのです。


●写真提供 中村写真館


  • 2016.04.03
  • 14:16

 昭和中期から現在まで


 -せんべいづくりに機械を導入、現在まで-


  中家堂が皆の努力で戦後の激しい時代を乗り切った昭和36年、見習い修業を終えた4代目が後を継ぐ
  ことになりました。


軍配せんべい 焼型  煎餅づくりに機械が導入


  それまでは炭火を用いて1枚1枚手焼きをしていました。
  煎餅の焼きにムラがなくなることもあり、最も手焼きに近い
  形の回転焼きの機械が導入されました。
  また、中家堂の商品も数を絞り込み、軍配せんべいを前面に
  押し出すとともに、商標登録をした軍配の形を生かした商品
  を展開しました。




  そうして現在は5代目が跡を継ぎ、4代目と店を守りながら、これからも地域と共にある中家堂を目指して
  初代が道を作ったうちわ祭の総代を務め、日々精進しております。


●写真提供 中村写真館





  • 2016.04.04
  • 00:28

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