中家堂の歴史

 明治中期から大正時代


 -菓子屋の隣でお茶屋も商い、20人の職人が働いていた繁盛期-


  この頃の中家堂は、現在のように軍配せんべいを前面に押し出した店ではなく
  生菓子、鮎焼き、羊羹、干菓子、カステラ、中家宝(五家宝)など様々な和菓子を製造販売する店でした。


 中家堂 明治時代写真

   職人が20人、女中が4、5人の大世帯


   明治後期から昭和初めの頃の中家堂は大変繁盛
   していました。
   菓子店だけではなく隣でお茶屋の商いもはじめ
   職人が20人程、女中4、5人小僧が数人働い
   ていた大世帯でした。
   また、このころは各地に支店も持っており6~
   7件程の暖簾を分けた店舗がありました。




中家堂 皮半纏

   写真はお正月の様子を写したものです。
   表に並ぶ奉公人らが店の皮半纏を着て、
   2階の女性たちは正装で並んでいます。

   この頃の中家堂は「角中」のマークを
   使用していました。写真の欄干もこの
   「角中」を模していてとても凝った店
   構えになっていた様子がうかがえます。




うちわ祭り 山車

     熊谷うちわ祭の山車を購入


     熊谷のうちわ祭に登場する第弐本町区の山車は、当店初代藤吉
     を含む世話人数名が購入したと伝えられています。
     このときの買い取り金額は五百円。
     米一石の価格が7円の時代に、藤吉は大役の一端を担うことに
     なりました。

     この他にも熊谷寺本堂の欄干、妻沼の聖天山歓喜院に壱百圓、
     二代目の時代に壱千圓、長瀞の宝登山神社の石灯籠、高尾山に
     檜弐萬本、三峰山に灯籠一対、東京の新井薬師に杉苗拾萬本を
     寄付しています。


●写真提供 中村写真館



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